なまいきチョルベンと水夫さん
プロフィール
原作者 アストリッド・リンドグレーン
Astrid Lindgren
「子どもの本の女王」と言われるアストリッド・リンドグレーンは、1907年11月14日、スウェーデン南西部、スモーランド地方田園地帯ヴィンメルビーの郊外ネースに生まれる。農園の管理をしていた父と働き者の母のもと、兄と妹二人という四人兄弟の長女として生を受け、スモーランドの自然の中、幸せな子供時代を過ごした。作品の多くがこの子供時代の豊かな生活そのものから生まれている。国語と作文を得意としたアストリッドは、13歳の時に書いた作文がヴィンメルビー新聞に掲載されるなど、早い時期からその才を発揮。1923年に共学中等学校(現在の高等学校に相当)を卒業後、ヴィンメルビー新聞のアルバイトとして働き始め記事も書くようになる。

18歳の時に妊娠。当時のスウェーデンの田舎町で未婚の母になることは出来ず、単身、首都ストックホルムに移り住み、秘書養成学校に通いながら、1926年、未婚の母が出産しやすかった隣国デンマークのコペンハーゲンで出産。父親の名はその後も明かされることはなく、長男ラーシュをデンマーク人の里親に預け、ストックホルムで秘書として働きながら、週末は息子に会うためにコペンハーゲンに通うというぎりぎりの生活を続けた。旅行ガイドブックの編集部でステューレ・リンドグレーンの秘書として働くようになり、1931年にステューレと結婚。離れていた長男ラーシュもストックホルムで一緒に暮らすようになり、1934年には長女カーリンも誕生する。

1944年、アストリッドの作品を一手に出版することになるラーベン・オク・ショークレン社の一般公募に送った「ブリットーマリはただいま幸せ」が記念すべきデビュー作となる。翌1945年、風邪をひいて寝込んでいた長女カーリンに話して聞かせたお話をもとにした「長くつ下のピッピ」を刊行。出版当時、一軒家に住み学校にも行かない自由奔放な9歳の女の子の型破りな物語は、非道徳的として非難もされたが、大人の価値観を飛び越えた子供の夢や理想の世界がユーモアたっぷりに描かれたこの作品は、またたくまにスウェーデンの子供たちから圧倒的な人気を得た。その勢いは国内にとどまらず、現在に至るまで、世界中の子供から大人まで多くのひとの心を捉えている。
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1946年には「名探偵カッレくん」、1947年には「やかまし村の子供たち」、続いて次々と"ピッピ"の続編を執筆、リンドグレーンの名前は一躍世界中で知られるところとなった。アスリッドはラーベン・オク・ショーグレン社の誘いで、1946年から同社の児童書編集部でパートタイムの仕事をはじめ、午前中は作家として、午後は編集者として新しい児童文学作家を育てる仕事にも情熱を傾け、その生活は実に25年間続いた。その間も作品を発表し続け、1950年に「親指こぞうニルス・カールソン」がニルス・ホルゲルション賞を受賞、1956年に「ミオよ わたしのミオ」がドイツ児童図書賞を受賞、1958年には「さすらいの孤児ラスムス」が国際アンデルセン賞を受賞するなど、世界各国の児童文学賞を受賞するようになり、1971年、ラーベン・オク・ショーグレン社を退社したその年に、彼女の優れた創作活動を称えてスウェーデン・アカデミーより金メダルが贈られた。

アストリッド・リンドグレーンの著書は100以上に上るが、その活動は児童文学の執筆のみに留まらなかった。1976年、スウェーデンの限界所得税の課税方式についての意見を童話のような物語にしてエクスブレッセン新聞に掲載し、大論争を巻き起こした。これをきっかけに社会のオピニオンリーダーとなったアストリッドは、出生率低下問題、図書館閉鎖問題、1980年代になると動物保護問題、原子力発電問題といったスウェーデン社会が抱える問題に関して、次々とユーモアある物語形式で彼女らしい意見を新聞に掲載していった。動物愛護への意見は動物保護法が作られるきっかけとなり、1986年には本国スウェーデンからスウェーデン動物保護協会賞、また1991年にはアメリカの動物保護協会賞、1996年には動物福祉協会ユーログループの賞が贈られている。スウェーデンで広く読まれているイーカ・キュリーレン新聞が毎年行うスウェーデン人の人気投票で、アストリッドは1990年~1997年に連続して1位に選ばれ、1990年後半には毎年ノーベル文学賞の候補になっていた。1994年、環境保護や人権問題、平和といった分野に貢献した人物を対象としたもう一つのノーベル賞と言われるライト・ライブリフット賞を受賞。1998年、長年の夢であった、子供が最高の看護と治療を受けることができる子ども専門病院「アストリッド・リンドグレーン病院」が設立された。年齢のため目がほとんど見えなくなったこともあり、1995年の「Emilmed paltsmeten(エーミルとソーセージのもと)」が最後の物語となった。2002年に死去。同年、スウェーデン政府は彼女の功績を記念して「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」を設立した。

映画化された作品もラッセ・ハルストレム監督「やかまし村の子供たち」('86年)、ケン・アナキン監督「長くつ下のピッピの冒険物語」('87年)、ヨハンナ・ハルド監督「ロッタちゃん はじめてのおつかい」('93年)等多数に及ぶ。

参考文献:「ピッピの生みの親 アストリッド・リンドグレーン」三瓶恵子(岩波書店)
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●主な作品
 上梓年
1944
ブリットーマリはただいま幸せ石井登志子訳(徳間書店)
1945
長くつ下のピッピ大塚勇三訳(岩波書店)
長くつ下のピッピ ニュー・エディション菱木晃子訳(岩波書店)
サクランボたちの幸せの丘石井登志子訳(徳間書店)
1946
ピッピ船にのる大塚勇三訳(岩波書店)
名探偵カッレくん尾崎義訳(岩波書店)
1947
ぼくねむくないよヤンソン由美子訳(岩波書店)
やかまし村の子どもたち大塚勇三訳(岩波書店)
こんにちは、長くつ下のピッピいしいとしこ訳(徳間書店)
1948
ピッピ南の島へ大塚勇三訳(岩波書店)
1949
親指こぞうニルス・カールソン大塚勇三訳(岩波書店)
やかまし村の春・夏・秋・冬大塚勇三訳(岩波書店)
1950
カイサとおばあちゃん石井登志子訳(岩波書店)
1951
カッレくんの冒険尾崎義訳(岩波書店)
わたしもがっこうにいきたいな石井登志子訳(徳間書店)
1952
やかまし村はいつもにぎやか大塚勇三訳(岩波書店)
1953
名探偵カッレとスパイ団尾崎義訳(岩波書店)
1954
ミオよわたしのミオ大塚勇三訳(岩波書店)
ぼくもおにいちゃんになりたいな石井登志子訳(徳間書店)
1955
やねの上のカールソン大塚勇三訳(岩波書店)
1956
さすらいの孤児ラスムス尾崎義訳(岩波書店)
1957
ラスムスくん英雄になる尾崎義訳(岩波書店)
1958
ちいさいロッタちゃん山室静訳(偕成社)
1959
小さいきょうだい大塚勇三訳(岩波書店)
1960
おもしろ荘の子どもたち石井登志子訳(岩波書店)
1961
ロッタちゃんのひっこし山室静訳(偕成社)
馬小屋のクリスマスうらたあつこ訳(ラトルズ)
1962
やねの上のカールソンとびまわる大塚勇三訳(岩波書店)
1963
エーミルはいたずらっ子石井登志子訳(岩波書店)
やかまし村のクリスマス石井登志子訳(ポプラ社)
1964
わたしたちの島で尾崎義訳(岩波書店)
1964
やかまし村の春山室静訳(ポプラ社)
1965
きつねとトムテ山内清子訳(偕成社)
1966
エーミルとクリスマスのごちそう石井登志子訳(岩波書店)
やかまし村のこどもの日山内清子訳(偕成社)
1968
やねの上のカールソンだいかつやく石井登志子訳(岩波書店)
1970
エーミルの大すきな友だち石井登志子訳(岩波書店)
1971
ロッタちゃんとじてんしゃ山室静訳(偕成社)
1973
はるかな国の兄弟大塚勇三訳(岩波書店)
1976
川のほとりのおもしろ荘石井登志子訳(岩波書店)
1977
ロッタちゃんとクリスマスツリー山室静訳(偕成社)
1981
山賊のむすめローニャ大塚勇三訳(岩波書店)
1983
雪の森のリサベット石井登志子訳(徳間書店)
1984
エーミルと小さなイーダさんぺいけいこ訳(岩波書店)
よろこびの木石井登志子訳(徳間書店)
1985
エーミルのいたずら325番さんぺいけいこ訳(岩波書店)
赤い目のドラゴンヤンソン由美子訳(岩波書店)
1986
ゆうれいフェルピンの話石井登志子訳(岩波書店))
エーミルのクリスマス・パーティーさんぺいけいこ訳(岩波書店)
1989
こうしはそりにのって今井冬美訳(金の星社)
1990
ロッタのひみつのおくりもの石井登志子訳(岩波書店)
1991
おもしろ荘のリサベット石井登志子訳(岩波書店)
おうしのマダムがおこりだすと今井冬美訳(金の星社)
1993
クリスマスをまつリサベット石井登志子訳(岩波書店)
ロッタちゃんの日記ちょう妻木晃子訳(偕成社)
1994
夕あかりの国石井登志子訳(徳間書店)
2000
ピッピ、公園でわるものたいじいしいとしこ訳(徳間書店)
2002
ふしぎなお人形 ミラベル武井典子訳(偕成社)
2003
赤い鳥の国へ石井登志子訳(徳間書店)
2004
ピッピ、南の島で大かつやくいしいとしこ訳(徳間書店)
2007
ペーテルとペトラ大塚勇三訳(岩波書店)
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