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アラン・レネ 追悼
2014年3月1日、アラン・レネ逝去。享年91。
3月10日サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール教会で行われた葬儀ではアラン・レネのインタビュー本の表紙を飾ったフロックのイラストが掲げられ、フランス中がその死を悼んだ。
偉大な映画監督の死に際し、フランス各紙は追悼特集を捧げた。
ピエール・アルディティ(俳優)
〈Le Figaro et vous〉
「レネが亡くなったことは私にとって大きな痛手であり、損失だ。俳優として変わらぬ敬愛を捧げてきたし、レネが世界を見つめ、それを語るやり方が大好きだ。いかなる慣習とも無縁で、しきたりは尊重したが、それを習慣化することはなかった。絶え間なく革新し続け、彼のパレットは無限大だった。レネの映画にたまたま出演するようになり、もう32年の年月が流れてしまった。私にとってレネとの出会いは、あらゆる面において重要なものだった。芸術的にも、人間的にも、そして感情的にも。レネは私にとって映画における父親であり、遊び仲間であり、また私自身と同様に子どもの部分を併せもっていた。これから、彼なしで、彼の声を聴かずして、どうやっていったらいいのか。その方法を探さなくては……」
エンキ・ビラル(BD作家、ポスター制作)
〈Le Figaro et vous〉
「ちょうど1年前、元気いっぱいだったレネに会っていたので、彼が亡くなったと聞いて、なんだか奇妙な気分だ。レネは不死の人であるとほとんど本気で思っていたからだ。次々と新作を、しかも驚くばかりの新鮮さに満ちた新作を送り出すヴァイタリティは、彼が死とは無縁だと思わせるに十分だった。私にとってレネは、フランス映画のモニュメント的存在であると同時に、映画産業というシステムの縁にいる、きわめてユニークな映画作家だ。レネはBDにも情熱を燃やしていた。1960年代の初めごろ、他の映画作家たちとともに、BD研究会なる会を共同主催していたほどだ。もう少しで『タンタン』シリーズの映画を撮るところだったし、アレックス・レイモンドの『フラッシュ・ゴードン』の映画化権も取得していた。レネと最初に出会ったのは70年代の終わり頃のことだ。『アメリカの伯父さん』のポスターを依頼してきたのだった。彼は世界の創造者として、歴史の語り部として、フランス映画界にあって例外的な存在であり続け、どんな流派にも帰属することのない自由な作風によって屹立していた。レネの子どもっぽい部分も思い出しておこう。大まかな意味での子どもっぽさだが。レネの作品にはどれも、遊びを楽しもうという感覚がある。いつも遊びの要素があるんだ」
アンドレ・デュソリエ(俳優)
〈Le Figaro et vous〉
「最期の最期まで、レネの頭脳は若々しかった。肉体的な苦しみが、どんなに耐え難くなっていっても、彼の精神は若々しさを保っていた。この肉体と精神の極端な隔たりに誰もが驚かされた。肉体は衰えても、レネの知性はまったく機能低下などしていなかった。本当に青年のような若々しさをもって、いつも処女作に取り組むように撮影に臨んでいた。芝居、BD[バンド・デシネ]、音楽、すべてに好奇心旺盛で楽しんでいた。彼は人生を愛し、芸術という予知不可能な道を、あるがままに受け入れ、歩み続けた。レネにあっては、映画は真に、そしてつねに、芸術そのものだった」
アニエス・ヴァルダ(映画作家、古くからの友人)
〈Le Monde〉
「私たちにとっては偉大な巨匠を、そして私自身にとっては古くからの友人を亡くした。1954年のことだった。彼は私の処女作である『La Pointe courte』の編集を引き受けてくれた。その正確な編集ぶりを忘れることはけっしてない。しかも、私の不器用な処女作を辛抱強く、敬意をもって編集してくれたのだ。彼は、常にラディカルであることを教えてくれた。お金に事欠くなかで映画の冒険に乗り出したとき、私にもっとも強い印象を残しているのは、彼の寛大さ、気前のよさだ。ふたりともまだ半人前だったあの頃、私にとってアラン・レネは心強い同志だった。彼は去ってしまった。私は、近しい人々のこと、家族や俳優たちのことを思う。レネは、最期の最期まで、映画作家であることを実践した人だった」
フランソワ・オランド(フランス大統領)
〈Le Monde〉
「フランスは偉大な映画作家を失ってしまった。レネは、『夜と霧』、そして『二十四時間の情事』と、歴史から分け入り、映画作家としての第一歩を踏み出した。しかし、彼は同時に、政治的な作品であろうと、歴史物語であろうと、舞台劇を翻案したものであろうと、ミュージカル映画であろうと、あるいは実験的映画であろうと、つねに新しい試みをもって、それらのジャンルを更新し続けた人でもあった」