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Mia Hansen-Løve

監督・脚本 ミア・ハンセン=ラブMia Hansen-Løve
1981年2月5日、パリ生まれ。1998年、オリヴィエ・アサイヤス監督『Fin août, début septembre/8月の終わり、9月の初め』(F)で女優デビュー。2000年に再びアサイヤスの『感傷的な運命』(F)で、シャルル・ベルリングやエマニュエル・ベアール、イザベル・ユペールなどフランスを代表する俳優と共演したのをきっかけに、翌年から国立高等演劇学校で本格的に演技について学び始める。しかし、映画誌カイエ・デュ・シネマで批評活動(2003-2005)をするために退学。同時期に、ロカルノ国際映画祭とコート・クール・ド・サン=ドニ映画祭に正式出品された短篇映画「Après mûre réflexion」(03)、「Offre spéciale」(05)を監督した。監督と脚本を手がけた初の長篇映画『Tout est pardonné/すべてが許される』(07/F)は、アンベール・バルザンがプロデュースすることがほぼ決まっていたが、2005年に彼が自殺したことにより、別の製作会社が引き継いで翌年完成。2007年カンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、ルイ・デリュック賞を受賞した。またフランスでの公開時にはカイエ・デュ・シネマをはじめ各誌で絶賛された。 監督・脚本の長篇第2作目となる『あの夏の子供たち』(09)は、『Tout est pardonné/すべてが許される』のプロデューサーが参加し、ともに亡きバルサンへの敬意を作品に込めた。本作は、カンヌ国際映画祭《ある視点》部門の審査員特別賞を受賞。その繊細で映画への深い愛を感じさせる演出は高い評価を得、今後のフランス映画界を担う存在として注目されている。2009年、オリヴィエ・アサイヤスの娘を出産した

『 』…日本公開  『 』(F)…映画祭上映 「 」…日本未公開

ミア・ハンセン=ラブ監督インタビュー

―どのように本作を着想したのですか? インスピレーションはどこから来たのでしょう?

本作はアンベール・バルザンとの出会いから始まりました。私が彼に初めて会ったのが2004年初頭でした。彼は2005年2月に自殺をしています。彼は私の処女作『Tout est pardonnė/すべてが許される』をプロデュースしたがっていました。結局自殺によってそれは叶いませんでしたが、彼の熱意と信頼は、その作品を決定的なものにしてくれました。けれど私は彼への感謝の念から本作を書いたわけではありません。彼には特別な親密さがあり、エレガントでオーラがありました。映画に対する彼の情熱やエネルギーはとても繊細で、それは確固とした内面的な美しさそのものでした。それこそが私にこの脚本を書かせた源泉です。もちろん自殺という事実は出てきます。失敗や挫折に押し潰されてしまったとしても、それを超えるものが残っているのです。自殺は事実ではあるけれどたった一つの真実でもありません。私は、一人の人間の中で葛藤が起こるパラドックスを表現したかったのです。その葛藤とは光と闇、強さと弱さ、そして生への渇望と死への衝動の間にあるものです。

―あなたは映画の中で、働き盛りの男性のカリスマを描いていますね。
オーラがあって、魅力にあふれている。その彼に苦渋を飲ませ、潰しています。

彼の疑いと失望は最初からあります。それは水面下にあって、時折グレゴワールの表情や沈黙に滲み出てきています。 普段は、それらは仕事から得る歓びや妻や娘たちとの幸せな時間の下に沈んでいるのです。そうであっても、不安や無気力は、自殺の一歩手前まで忍び足で迫ってきます。グレゴワールは失望に押し潰されてしまった。あまりにも深く強く抑圧していただけに、それは凶暴な力となってしまったのです。つまり、人並みはずれた許容力は、同時にそれを持つ者自身を強力に破壊するということを、私は描きたかったのです。

その死は映画の半分あたりで起きます。それは残された家族には相当な衝撃であり、それぞれの人生を見つめなおすことになります。

遺族以上に、映画自体が再生について語っていると言えるでしょう。だからこそ、彼の死は、最初でもなく最後でもなく、ちょうど半分で起きるのです。この対称的な構成こそが、再生というものを具現しているのです。彼の死は物語の終わりではありません。それは中心の瞬間であり、物語がさらにその先に続いてくためにあるのです。映画はムーンフィルムの最期の日々であるともいえるでしょう。個人にとっても共同体にとっても同じことが言えるのですから。

(オリジナルプレスより)

フィリップ・マルタンPhilippe Martin
映画製作会社Les Films Pellėasの社長。1992年の起業以来数多くの作品のエグゼクティブ・プロデューサーを務める。ピエール・サルヴァドーリ監督の『めぐり逢ったが運のつき』(93)とセザール賞作品賞受賞作「Les apprentis」(95)、『...Comme elle respire/うそつきな彼女』(F/98)、『プライスレス 素敵な恋の見つけ方』(06)を製作。その他の日本公開作は、ジャン=ポール・シヴェラック監督の短篇『La vie selon Luc/リュックによると人生とは』(F/91)と『FantÔmes/亡霊』(F/01)、カトリーヌ・コルシニ監督『彼女たちの時間』(01)、ジャン・マリー&アルノー・ラリュー監督の『Un homme, un vrai/運命のつくりかた』(F/02)と『Peindre ou faire l'amour/描くべきか、愛を交わすべきか』(F/05)、カンヌ国際映画祭《ある視点部門》最優秀女優賞を受賞したカタリン・ミツレスク監督『Cum mi-am petrecut sfarsitul lumii/世界の終わりの過ごし方』(TV/06)、ミア・ハンセン=ラブ監督『Tout est pardonnė/すべてが許される』(F/07)、ピエール・ショレール監督『ベルサイユの子』(08)など。
製作:ダヴィッド・ティオンDavid Thion
映画製作会社Les Films PellėasとElena Filmsの作品を手がける。プロデュースした長篇映画はエマニュエル・ムレ監督の「Laisson Lucy faire!」(00)と『チェンジ・オブ・アドレス』(F/06)、カタリン・ミツレスク監督『Cum mi-am petrecut sfarsitul lumii/世界の終わりの過ごし方』(TV/06)、セルジュ・ボゾン監督「La France」(07)、ミア・ハンセン=ラブ監督『Tout est pardonnė/すべてが許される』(F/07)、アクセル・ロペール「La Famille Wolberg」(09)。
撮影:パスカル・オーフレーPascal Auffray
2002年にパリの名門映画学校ルイ・リュミエール校を卒業後、ミア・ハンセン=ラブ監督に信頼され、処女短篇作「Après mûre rėflexion」(03)以降、自主制作作品を含む彼女の全作品の撮影を担う。また、フローラン・ダルモン監督「Fragments」(02)、アントワーヌ・ルノー監督「La Rixe」(04)、ローレット・ポルマンス監督「Une Fille normale」(07)といった短篇映画や、ルノーやゲラン、ディオール、国立写真センター等のCMの撮影も手がけている。
編集:マリオン・モニエMarion Monnier
2004年、オリヴィエ・アサイヤス監督の『クリーン』の編集助手として映画初参加。以後、編集者としてイジルド・ル・ベスコ監督「Le Malais」(05)、オリヴィエ・アサイヤス監督『Noise』(06)、ブノワ・ジャコ監督「L’Intouchable」(06)、オリヴィエ・ドリアン監督「Chute libre」(07)、ミア・ハンセン=ラブ監督『Tout est pardonnė/すべてが許される』(F/07)、アガット・テシエ監督「La femme invisible(d’après une histoire vraie)」(09)に携わる。最新作はオリヴィエ・アサイヤス監督の「Carlos the Jackal」(2010)。

『 』…日本公開  『 』(F)…映画祭上映 「 」…日本未公開

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